☆八角堂プラナYoga☆
身体の声を聞きながらゆっくりとほぐしていく時間です。
隕石鎮まるお堂でのyogaは、深い瞑想状態へと導いてくれます。
毎週木曜日 午後7:00〜 スペインから来たハビエル先生指導。
曜日変更になることもありますので ご予約くださいませ。
【参加費】1,800円/2時間 月謝 5,500円
2019年03月30日
ターラ、観音、摩利支天
今年の春分ゲート、大きな大きなサイクルが始まったような時空間でした。
始まったという感覚よりは、過去のもの、過去生もカルマも含めた全てのもが放出し切ったというか
火山が全てのマグマを噴出させて終了するような。。
そこにのみこまれているうちに、あ、終わった、そして始まってた、みたいな。
そしてすでに道は開かれていた、みたいな。
ターラに関しては、2002年にハワイのチベット寺院で繋がりを頂き、同年の普門寺の観音お開き祭で初奉納して
17年目のサイクルで次のスパイラルに入った事を、はっきりと認識した旅でした。
17というのは弁財天(2番のターラ)の数でもあり、普門寺の観音様の縁日であることも、今思い当たったりして。。。
とにかく全てが予想を超えて、自分の内側は空っぽのまま
どんどん物事がやって来て、瞬間瞬間に対応して生きるしかない
その踏み出し方にも、自分の直感と本質のみが精妙に要求される、そんな感じです。
そして踏み出してみれば、案外自分の中に蓄積されているものがバージョンアップされたり、開いて行くのみで。。。
ただ、開き方が、あまりにも今迄の枠を超えて行くので
一瞬カオスでもあり、
やはり蛹から蝶へと変容し羽ばたくようなそんな春分ゲートでした。
春分 満月の那智大社、飛瀧神社への奉納に向けてのターラ降臨の物語です。
リトリート開始前に、今回の舞を担当する那智勝浦のアミさん宅へ。。
2人で内容を練り上げるというか、野で降ろしていました。
ふとアミさん宅の壁を見ると、私の魂の姉妹である仏画師、奥田あやさんの絵が貼ってありました。
アミさんに、あやちゃんを知ってるの?と聞くと知らない、と。絵が可愛くて飾りたくなった、と。
友人から(それもターラというお店の方)もらったそうで、何と無く今年から飾っていたと。。

摩利支天 豊かさとともに光として舞う、というmessageと。。亥を連れています。今年の干支。
干支だから飾ったの?と聞くとアミちゃんは、そんなことすら気付かなかったそうです。
あやちゃんは私のワークの初期からずっと参加していた方で、私のワークを深く深く感じてくれていたひと。
特にターラは、ハワイも含め何度も舞ってくれたし、彼女自身も、仏画師として初めに描いた絵はターラの曼荼羅でした。
あの2012年12/21のマヤ暦終わりとか、アセンションとか、騒がれていた日の直前
あやちゃんは突然、交通事故で肉体を離れたのでした。先に行くよ、とでもいうように。。
それは大きな出来事でした。
一緒に熊野に来て修験者のところに行き、法螺貝と出会ったり、熊野での彼女との懐かしい思い出がフラッシュバックしました。
今回、お彼岸でもあり、那智山は魂が天に還る場所でもあるので
光に還ったターラ姉妹への私の個人的な想いもあり、
あやちゃんのこの絵を見たときに、来てくれたんだ!という想いが溢れました。
こうして目に見えない世界も現実界にmessageを送ってくれるのです。
ターラリトリート初日。熊野の縄文的聖地、神倉神社に、北海道から沖縄までの参加者集結。
始まりから凄い日輪。



縄文の聖地である神倉さんへの祈願からターラの旅は始まりました。
そしてリトリート会場の山奥の温泉へ。。

ターラの祭壇を作り、みんなで花を捧げ香を焚きターラマントラが響き。。。
翌日になるとターラの祭壇は、光を増し、ターラ本尊もにこやかに微笑んで。。
このヒマラヤクリスタルのターラ仏は、白山のspirit sisterが、八角堂に奉納してくださったものです。
ヒマラヤ、白山のエネルギーを熊野もたらしてくれました。
今まで秘仏で外に出していなかったため
皆さんの真心からの供養を受けキラキラと輝き、生気を放ち、このワークを見守ってくださいました。

あまりにも天国的な。。。
祈り、瞑想、浄化、お稽古が始まります。

皆さんそれぞれ葛藤や不安と向き合いながら
それぞれのターラと繋がって行きます。破壊と再生が繰り返され。。。

最終リハーサルでは、もう初日と全く違う舞になっています。
マントラも入って、自然に口から、心から。。。頭の中をターラマントラがぐるぐる回っています。
熊野ならではの大自然による浄化とチューニングも凄かった。
近くにある聖なる森、瀧へとランチピクニック。

修験者みたいな。。今回の参加者は、山ガール、修験系、アスリート、などツワモノ揃い。
最年長すみちゃんは80歳。中心になるグリーンターラをやって頂きました。

滝は不必要なエネルギーを祓い清め、マイナスイオンでいっぱい!観光地ではない滝の波動は浄らかで清々しい。





森の精霊、光たちに受け入れて頂き、喜びが響き合う。
適度な森歩きと、岩登りに、皆さん嬉々としていました。
プラナを頂くとはまさにこの事。
大自然に勝るヒーラーはいません。
ここですっかり浄化、チャージされ、熊野の地と繋がることができました。
森での素晴らしい光写真は地元熊野ネイティブの女神、田瀬かおりさんの撮影。素晴らしい!
朝晩毎日温泉に入れるのもここならでは!
食事も素晴らしいベジフードを地元熊野の女神がケータリングしてくれたり
サンサロカフェに食べに行ったり。。。
楽しみつつもそれぞれ心の深い部分と向き合い
不必要なエネルギーを手放し、信頼して明け渡すということを
学んで行きました。
そして迎えた当日。優しい雨が降り注ぎ、神気溢れる那智の滝。
観音菩薩の涙が、全てを洗い清めてくれているような。。。


この鳥居の先の禁足地であるご神域が、奉納場所です。

如意輪観音の本体とされるお滝の前で。。娘達であるターラが還ってきた型。

ターラマントラ楽団は、熊野の女神達の参加で奇しくも女性だけで。ライアー、太鼓、錫杖というまさにお経?な編成。自然にこうなりました。





ただただ、明け渡し、歓喜の中で
最光の奉納となりました。
全てがかみ合い神愛。。。。このとき私たちは観音浄土、ターラの次元に行っていたと思います。
記憶もほとんどなく。。ただただ喜びの中に居た。
奉納が終わると同時に満月となり、全てが満ち満ちて。。。大調和、大成就。
見ていた参拝客、神社の方々からもお礼のお言葉を頂き。。

感動の涙がみんなの頬を伝って。。それはそれは美しい法悦の涙。魂の真珠。
こうして、2019春分 新しいターラが蘇りの地、熊野で誕生したのです。
そして翌日、熊野から赤穂の普門寺へ。。
何の気なしに決めたスケジュールですが、2002年、普門寺観音お開き祭で、ターラ初奉納でしたので
そこに御礼と報告に帰るという型になっていました。
黒潮に乗って(電車)お寺に着くと懐かしい恵裕先生の笑顔が、先生がお開き祭の前に感得した慈愛 像が迎えてくれました。
こたつに招かれ、ここ数年の動き、ターラの今回の奉納のご報告を。。と思う間も無く
先生の口からこんな言葉が。。
〈あのね、ターラは観音様の眉間から(ポーン!と勢い良く飛び出すのよ。摩利支天、一番先に飛び出す、勢いがあるの〉
えっ!摩利支天!?
瞬時にあやちゃんのあの絵が浮かびました。ここで摩利支天の名前が出るとは。。
恥ずかしながら、今まで摩利支天にフォーカスしたことがなく、何も知りませんでしたし、先生の口から摩利支天、という名前を聞いたのも初めてです。
なるほど、ターラの1番。とにかく素早い、というのがターラの特徴です。
今回のターラ復活、勢い良く1番が飛び出して生まれたのだ、と。勢いの象徴である亥を連れた摩利支天として。
それをあやちゃんの魂が先導してくれたような気がしました。天の法螺を響かせてくれていたと思います。
この絵を何気無く飾ってたアミちゃんも、すごい。。。
それを恵裕先生が開口一番、気付かせていただきました。
そしてこの観音様とマリア様が融合したようなお姿の慈愛像。

先生がここのお寺で、光の中にこの存在を感得され、その存在から
〈今まで高い次元にいた観音様がこの現実界に近い領域までおりて来られるので観音おひらき祭をしてください〉
と、メッセージを受け取られ、開催された祭で、ターラをはじめて奉納したのでした。
もちろん先生はれっきとした僧侶で、比叡山で厳しい修行をされた女性の阿闍梨なので
光の存在からmessageが。。とかそういう感じではなく(^^;
普門寺の本堂落慶法要と、慈愛像建立、ということで西国三十三観音寺の住職様全てが一堂に会し、
赤穂市観光協会も、ヒッピー系も、修験も、全てが一つになった大きなお祭りとなったのでした。
そして私も、このときから先生にご縁を頂きました。
先生が光の中に見た存在は、エネルギーで、名前がわからなかったので
先生は慈愛、と呼び慈愛像が建立されましたが、その後チベット僧のニチャンリンポチェがいらして(先生とリンポチェは仲良)
この像を見たときに、これはターラです、と仰っていたことも、今回初めて知りました。
ターラだったのですね。。。
さらに、このお寺は3つのこの地域お寺が合わさっているので、たくさんの神仏像があるのですが
なんとその中に、古いターラ像も。。やはりおひらき祭のときに出てきたそうです。

さらにチベットから来た21ターラのタンカ。
ここ普門寺は、千手観音様を本尊に、その手足となって働くターラを祀る
まさにターラの日本での実家のような場所だったのです。
ここでの瞑想、yoga,祈りのリトリートも深く満たされる体験でした。

音魂瞑想の後には大きな虹が。。。
先生から、驚きのお話を、たくさん聞くことができました。
こんなにゆっくり先生の貴重なお話を聞ける機会はなかなかありません。
覚醒した方の波動をじかに体験してほしいというのも今回のリトリートの目的の一つです。
言葉や肩書き、過去の経歴ではなく、その瞬間瞬間の波動なのです。
朝5時からの勤行、お不動様の前での平和の火を囲んだ読経
朝暗いうちから、白い息をはきながら、少しづつ坂を登って毎日お祈りに来られる90歳のおばあさま。
30年間も。。
ここに来ている方々は、皆さん肌のキメが細かく、本当にピカピカです。
先生も、肌も頭も、オーラも全てがピカピカ。
祈りというものの本質を体験させて頂ける大切な場所。
ちょうどターラリトリートの始まりの日が彼岸入り。
普門寺の祈りのリトリート終了が彼岸明け。
先生に、お彼岸とは見えない世界との交流の時と、教えて頂き
まさに春分挟んでその期間、ターラ、観音、摩利支天、たくさんの愛しい魂との交流に
明け暮れていたことになります。現実の世界も一緒に展開して。。。
そしてこの深い美しい懐かしい旅の最終日は岡山のアーツアンドクラフツビレッジで
桜染と火おこし。
火打石の火花を種火にして火を生む男性性
麻の布を桜で染め、淡いピンクの羽衣をまとって大地母神の舞を舞う女性性
両方を楽しんで、夜は音、舞、優しい美味しいご馳走が並び
春分ゲート無事通過の祝いの宴となったのでした。
めでたしめでたし。
家に帰ると、数年前Babajiの高弟から贈られたネパールのグリーンターラが
やっと額装完成して、待っていてくださいました。
オンタレトゥタレトゥレソーハー

始まったという感覚よりは、過去のもの、過去生もカルマも含めた全てのもが放出し切ったというか
火山が全てのマグマを噴出させて終了するような。。
そこにのみこまれているうちに、あ、終わった、そして始まってた、みたいな。
そしてすでに道は開かれていた、みたいな。
ターラに関しては、2002年にハワイのチベット寺院で繋がりを頂き、同年の普門寺の観音お開き祭で初奉納して
17年目のサイクルで次のスパイラルに入った事を、はっきりと認識した旅でした。
17というのは弁財天(2番のターラ)の数でもあり、普門寺の観音様の縁日であることも、今思い当たったりして。。。
とにかく全てが予想を超えて、自分の内側は空っぽのまま
どんどん物事がやって来て、瞬間瞬間に対応して生きるしかない
その踏み出し方にも、自分の直感と本質のみが精妙に要求される、そんな感じです。
そして踏み出してみれば、案外自分の中に蓄積されているものがバージョンアップされたり、開いて行くのみで。。。
ただ、開き方が、あまりにも今迄の枠を超えて行くので
一瞬カオスでもあり、
やはり蛹から蝶へと変容し羽ばたくようなそんな春分ゲートでした。
春分 満月の那智大社、飛瀧神社への奉納に向けてのターラ降臨の物語です。
リトリート開始前に、今回の舞を担当する那智勝浦のアミさん宅へ。。
2人で内容を練り上げるというか、野で降ろしていました。
ふとアミさん宅の壁を見ると、私の魂の姉妹である仏画師、奥田あやさんの絵が貼ってありました。
アミさんに、あやちゃんを知ってるの?と聞くと知らない、と。絵が可愛くて飾りたくなった、と。
友人から(それもターラというお店の方)もらったそうで、何と無く今年から飾っていたと。。

摩利支天 豊かさとともに光として舞う、というmessageと。。亥を連れています。今年の干支。
干支だから飾ったの?と聞くとアミちゃんは、そんなことすら気付かなかったそうです。
あやちゃんは私のワークの初期からずっと参加していた方で、私のワークを深く深く感じてくれていたひと。
特にターラは、ハワイも含め何度も舞ってくれたし、彼女自身も、仏画師として初めに描いた絵はターラの曼荼羅でした。
あの2012年12/21のマヤ暦終わりとか、アセンションとか、騒がれていた日の直前
あやちゃんは突然、交通事故で肉体を離れたのでした。先に行くよ、とでもいうように。。
それは大きな出来事でした。
一緒に熊野に来て修験者のところに行き、法螺貝と出会ったり、熊野での彼女との懐かしい思い出がフラッシュバックしました。
今回、お彼岸でもあり、那智山は魂が天に還る場所でもあるので
光に還ったターラ姉妹への私の個人的な想いもあり、
あやちゃんのこの絵を見たときに、来てくれたんだ!という想いが溢れました。
こうして目に見えない世界も現実界にmessageを送ってくれるのです。
ターラリトリート初日。熊野の縄文的聖地、神倉神社に、北海道から沖縄までの参加者集結。
始まりから凄い日輪。



縄文の聖地である神倉さんへの祈願からターラの旅は始まりました。
そしてリトリート会場の山奥の温泉へ。。

ターラの祭壇を作り、みんなで花を捧げ香を焚きターラマントラが響き。。。
翌日になるとターラの祭壇は、光を増し、ターラ本尊もにこやかに微笑んで。。
このヒマラヤクリスタルのターラ仏は、白山のspirit sisterが、八角堂に奉納してくださったものです。
ヒマラヤ、白山のエネルギーを熊野もたらしてくれました。
今まで秘仏で外に出していなかったため
皆さんの真心からの供養を受けキラキラと輝き、生気を放ち、このワークを見守ってくださいました。

あまりにも天国的な。。。
祈り、瞑想、浄化、お稽古が始まります。

皆さんそれぞれ葛藤や不安と向き合いながら
それぞれのターラと繋がって行きます。破壊と再生が繰り返され。。。

最終リハーサルでは、もう初日と全く違う舞になっています。
マントラも入って、自然に口から、心から。。。頭の中をターラマントラがぐるぐる回っています。
熊野ならではの大自然による浄化とチューニングも凄かった。
近くにある聖なる森、瀧へとランチピクニック。

修験者みたいな。。今回の参加者は、山ガール、修験系、アスリート、などツワモノ揃い。
最年長すみちゃんは80歳。中心になるグリーンターラをやって頂きました。

滝は不必要なエネルギーを祓い清め、マイナスイオンでいっぱい!観光地ではない滝の波動は浄らかで清々しい。





森の精霊、光たちに受け入れて頂き、喜びが響き合う。
適度な森歩きと、岩登りに、皆さん嬉々としていました。
プラナを頂くとはまさにこの事。
大自然に勝るヒーラーはいません。
ここですっかり浄化、チャージされ、熊野の地と繋がることができました。
森での素晴らしい光写真は地元熊野ネイティブの女神、田瀬かおりさんの撮影。素晴らしい!
朝晩毎日温泉に入れるのもここならでは!
食事も素晴らしいベジフードを地元熊野の女神がケータリングしてくれたり
サンサロカフェに食べに行ったり。。。
楽しみつつもそれぞれ心の深い部分と向き合い
不必要なエネルギーを手放し、信頼して明け渡すということを
学んで行きました。
そして迎えた当日。優しい雨が降り注ぎ、神気溢れる那智の滝。
観音菩薩の涙が、全てを洗い清めてくれているような。。。


この鳥居の先の禁足地であるご神域が、奉納場所です。

如意輪観音の本体とされるお滝の前で。。娘達であるターラが還ってきた型。

ターラマントラ楽団は、熊野の女神達の参加で奇しくも女性だけで。ライアー、太鼓、錫杖というまさにお経?な編成。自然にこうなりました。





ただただ、明け渡し、歓喜の中で
最光の奉納となりました。
全てがかみ合い神愛。。。。このとき私たちは観音浄土、ターラの次元に行っていたと思います。
記憶もほとんどなく。。ただただ喜びの中に居た。
奉納が終わると同時に満月となり、全てが満ち満ちて。。。大調和、大成就。
見ていた参拝客、神社の方々からもお礼のお言葉を頂き。。

感動の涙がみんなの頬を伝って。。それはそれは美しい法悦の涙。魂の真珠。
こうして、2019春分 新しいターラが蘇りの地、熊野で誕生したのです。
そして翌日、熊野から赤穂の普門寺へ。。
何の気なしに決めたスケジュールですが、2002年、普門寺観音お開き祭で、ターラ初奉納でしたので
そこに御礼と報告に帰るという型になっていました。
黒潮に乗って(電車)お寺に着くと懐かしい恵裕先生の笑顔が、先生がお開き祭の前に感得した慈愛 像が迎えてくれました。
こたつに招かれ、ここ数年の動き、ターラの今回の奉納のご報告を。。と思う間も無く
先生の口からこんな言葉が。。
〈あのね、ターラは観音様の眉間から(ポーン!と勢い良く飛び出すのよ。摩利支天、一番先に飛び出す、勢いがあるの〉
えっ!摩利支天!?
瞬時にあやちゃんのあの絵が浮かびました。ここで摩利支天の名前が出るとは。。
恥ずかしながら、今まで摩利支天にフォーカスしたことがなく、何も知りませんでしたし、先生の口から摩利支天、という名前を聞いたのも初めてです。
なるほど、ターラの1番。とにかく素早い、というのがターラの特徴です。
今回のターラ復活、勢い良く1番が飛び出して生まれたのだ、と。勢いの象徴である亥を連れた摩利支天として。
それをあやちゃんの魂が先導してくれたような気がしました。天の法螺を響かせてくれていたと思います。
この絵を何気無く飾ってたアミちゃんも、すごい。。。
それを恵裕先生が開口一番、気付かせていただきました。
そしてこの観音様とマリア様が融合したようなお姿の慈愛像。

先生がここのお寺で、光の中にこの存在を感得され、その存在から
〈今まで高い次元にいた観音様がこの現実界に近い領域までおりて来られるので観音おひらき祭をしてください〉
と、メッセージを受け取られ、開催された祭で、ターラをはじめて奉納したのでした。
もちろん先生はれっきとした僧侶で、比叡山で厳しい修行をされた女性の阿闍梨なので
光の存在からmessageが。。とかそういう感じではなく(^^;
普門寺の本堂落慶法要と、慈愛像建立、ということで西国三十三観音寺の住職様全てが一堂に会し、
赤穂市観光協会も、ヒッピー系も、修験も、全てが一つになった大きなお祭りとなったのでした。
そして私も、このときから先生にご縁を頂きました。
先生が光の中に見た存在は、エネルギーで、名前がわからなかったので
先生は慈愛、と呼び慈愛像が建立されましたが、その後チベット僧のニチャンリンポチェがいらして(先生とリンポチェは仲良)
この像を見たときに、これはターラです、と仰っていたことも、今回初めて知りました。
ターラだったのですね。。。
さらに、このお寺は3つのこの地域お寺が合わさっているので、たくさんの神仏像があるのですが
なんとその中に、古いターラ像も。。やはりおひらき祭のときに出てきたそうです。

さらにチベットから来た21ターラのタンカ。

ここ普門寺は、千手観音様を本尊に、その手足となって働くターラを祀る
まさにターラの日本での実家のような場所だったのです。
ここでの瞑想、yoga,祈りのリトリートも深く満たされる体験でした。

音魂瞑想の後には大きな虹が。。。
先生から、驚きのお話を、たくさん聞くことができました。
こんなにゆっくり先生の貴重なお話を聞ける機会はなかなかありません。
覚醒した方の波動をじかに体験してほしいというのも今回のリトリートの目的の一つです。
言葉や肩書き、過去の経歴ではなく、その瞬間瞬間の波動なのです。
朝5時からの勤行、お不動様の前での平和の火を囲んだ読経
朝暗いうちから、白い息をはきながら、少しづつ坂を登って毎日お祈りに来られる90歳のおばあさま。
30年間も。。
ここに来ている方々は、皆さん肌のキメが細かく、本当にピカピカです。
先生も、肌も頭も、オーラも全てがピカピカ。
祈りというものの本質を体験させて頂ける大切な場所。
ちょうどターラリトリートの始まりの日が彼岸入り。
普門寺の祈りのリトリート終了が彼岸明け。
先生に、お彼岸とは見えない世界との交流の時と、教えて頂き
まさに春分挟んでその期間、ターラ、観音、摩利支天、たくさんの愛しい魂との交流に
明け暮れていたことになります。現実の世界も一緒に展開して。。。
そしてこの深い美しい懐かしい旅の最終日は岡山のアーツアンドクラフツビレッジで
桜染と火おこし。
火打石の火花を種火にして火を生む男性性

麻の布を桜で染め、淡いピンクの羽衣をまとって大地母神の舞を舞う女性性
両方を楽しんで、夜は音、舞、優しい美味しいご馳走が並び
春分ゲート無事通過の祝いの宴となったのでした。
めでたしめでたし。
家に帰ると、数年前Babajiの高弟から贈られたネパールのグリーンターラが
やっと額装完成して、待っていてくださいました。
オンタレトゥタレトゥレソーハー

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